<20日(日)>
フランクフルトから電車で約50分。ゼーリゲンシュタットという小さな町がある。そこで,手工市が開催されるということで行ってみた。3ユーロ払って,修道院の囲いの中に入ると,19世紀頃の服装をした人たちが,それぞれブースを開いて実演販売をやっている。 このローテクのすごさをドイツのマイスター制度が守ってきたのですよ。未だに世襲が多いドイツでは,まだしばらくはこのような手工が残るのだろうか。ただ,やはり多くがかなりお年の方のお店だったような気もする。職業教育の在り方が,日本とは全くちがうのだけど,それが機能したままずっと存続すればいいのに…と思いつつ,やはりハイテク産業はそれではなかなかたちいかんということもあるそうなのです。でも,この景色はずっと残って欲しい |
ガラス職人が実演中 ガラス玉のクリスマスオーナメント が吊ってあって 中でガラスの羽根がまわっている どうやって加工したのだろうか |
ろうそくを作るアトラクション 紐をろうの中に垂らして ゆっくりひきあげる 何度もやって太らせる 結構子どもが並んでいた |
大きな木版印刷機 町の風景が版になっていた 子どもにレバーを回させて印刷している |
古色蒼然たる染色鍋 木片で下から火をたいて煮ている |
革を釘で台に貼り付けて加工している所 抜いたり打ったりするのを 右手に持った道具でやっている |
熊手…のような木製の農具を制作中 手際よく出っ張りを削り落としている |
石工 のみでどんどん掘っていく |
いくつかの部品から作る門扉を道具で締めて たたいて平らにして またたたいて…を繰り返していた |
蝋纈染めもある 模様の型で蝋を生地につけて 紺色に染色(30回染めるんだと) あとで蝋を流せば模様が出てくる |
修道院の昔ながらのキッチンで 料理を作っていた 食べなかったけど… |
メリーゴーラウンドも木製 黄色の服の兄ちゃんが2人でまわす 人力メリーゴーラウンドでした 速度が落ちてきたらもう一度回して 二回で終わり |
修道院の様子 実にきれいな修道院でした |
裏庭は広大なハーブガーデンがある 時期によっていろいろな花が咲くのだろう リンゴの木が目立った |
今回の発見の1つは,ハーブガーデンの片隅に 養蜂小屋があったこと 庭は伊達にあるのではなく 蜂蜜を採る目的もあったのか もう一つの発見が,薬草としての価値 アポテーケ(薬局)では もっともらしい服のおじさんが 香水を売っていた |
昔の薬草室をのぞくとこんな感じ 富山の薬屋さんに行くと まだこういう感じの棚が残ってますね 洋の東西を問わず 昔はこんなだったんでしょう ん?今でもコンセプトはこんなかな… |
エッシェンハイマー塔 城壁があった時代の見張り塔で 1階はカフェになっている エッシェンハイマー塔のカフェで シーザーサラダとフィンガー何とか 鶏,魚,モツァレラチーズなどのフライが 一口サイズ…つまめる大きさで出てきた 味はよし |
<21日(月)>
スケジュール調整は難しい。学校訪問の調整をいろいろやっているのだけど,メインの所がなかなか返事をくれない。校長が海外出張だったりするものだから。で,それが決まらないと他のものが決まらない…と思っていると,どんどん日が過ぎていく。でも,他のを…得に遠くのものを先に入れてしまうと,後でバッティングするということもありそう。 そうも言ってられないので,興味のある学校2つに連絡を入れた。メールとファックス。こちらから日程を指定して,行ってもいいかと聞いてみたわけだけど,返事は来るだろうか…。だめなら別の所から手を回す必要も出てくる。 夕方から靴を買いに行って,履いていった靴を修理に出した。こっちに来てから歩きすぎ。毎日片道35分を歩いて通っているし。健康的でいいのだけど,靴底が減るのね。 帰りにエッシェンハイマー塔のカフェで夕食。久しぶりにスタンドではない外食。ビールもつけた。歳とっちゃったし。 <22日(火)> 来週のブリーフィングに向けて,日本の教育の質を表す指標は何だろうかと,いろいろ考えてみた。ICT活用指導能力の基準が作られて既に調査は終わっている。これはその1つだろう。全国一斉の学力テストもそれに入るだろうか。あらためて,公開されている問題文や概要をもとにしながら,その背景にある基準について考えてみた。 やはり,はずせない基準の1つは,教科内容をどれくらいしっかり身につけているかということになる。それがAの問題で,さまざまな領域から少しずつ出題されている。例え漢字の問題が1問しかなくても,集計することによって全体像が見えてくる。記述式の問題もあって,何層かのレベルで学力を捉えていることもうかがえる。B問題は,思考力を求める問題だ。PISAの出題形式が透けて見える。現実的な状況を与えて,教科に関わる知識を活用しながら判断を促す。それを言葉で記述させる。知識の活用能力を見る。このような学力テストが与える影響は,そのような形式の練習問題がたくさん作られるということだ。それで,学校や塾で熱心にそれに対応した授業が行われると,考えることを重視する「ゆとり教育」ができるかもしれない。ただ,知識の活用と応用にはまだ少し開きがあるようには思う。それに,どんな問題にもマニュアルを作ってしまう教育産業の怖さが一方である。それができると,思考は再び不要になる。 明日からウィーンに行く。今ヨーロッパでも格安航空会社がたくさん就航している。その影響なのだろうけど,ルフトハンザなどの既存の会社のフライトもとんでもなく安かったりする。今回はそのルフトハンザで,往復のチケットが8500円程度。空港税がその1.4倍ほど。安いチケットだと往復1500円というのも存在する。税金は変わらないけど。実際の所,どこが採算ポイントなのだろう。 |
<23日(水)>
空港には早く着きすぎ。ラウンジに行くと,日本の新聞があった。朝日と日経。インターネットで新聞を読むのと,母国語の紙面を実際に見るのとの違いを実感する。一瞥で内容がわかるのが後者。見出しの効果と,文字認識の速さの問題でしょう。フライトはLHとオーストリー航空のコードシェア。安いチケットなのにランチがついている。サンドイッチとアップルストゥリューデル。とてもおいしい。 ついたらホテルにチェックインしてから日本人学校に行くことになっていたのだけど,空港から学校の側のカグラン行きのバスがあることがわかって,それに乗った。20分ほどでカグランに到着。学校まではそこからバスを乗り換えて1駅。 学校に着くと垣根越しに,NHKの番組利用のプロジェクトで一緒だったF士先生にまず会えた。職員室で教頭先生に挨拶,その後校長のI藤先生とF士先生に学校の様子をうかがい,ドイツとオーストリーの制度の異同などについていろいろ話ができた。8月にもう一度,評価について話をしに来ることに決定。 昔はずいぶん人数も多かったらしいのだが,今では各学年数人程度。現地の学校に通わせる親が増えているのか,日本からの駐在が減っているのか,あるいは親の世代の問題か,何が原因かはわからない。この規模だと,きめの細かい評価はできる。その意味が,この学校であるのかどうかも含めて,8月に議論しよう。 学校には,コンピュータの部屋もある。ただ,各教室にICT設備があるわけではないので,F士先生は日本からプロジェクタを持ち込んでいる。これでNHKの番組などを見せているそうだ。熱心だ。 日本人学校はドナウ川を挟んでウィーンの東側。2階の窓からは,国連ビルが見える。子どもたちは,国連に見学や取材に行ったりするらしい。すごい環境だ。ドイツ語の授業もあって,現地校との交流もやっている。人数は少なくなって来ているのだけど,なかなか価値の高い教育環境に見える。 |
日本人学校の玄関 今では人数が減って 各クラス数人程度 |
F士先生が日本から持ち込んだ機材 理科室からは国連ビルが見える |
図工の作品も,ここならでは |
カーレンブルグからの眺望 にらんでもわからないけど フンデルトヴァッサーのゴミ焼却場も写っている |
レオポルド山からの眺望 ドナウ川と旧ドナウ川が見える |
ホイリゲ「Zum Martin Sepp」で K牧先生,F士先生と |
夜は,F士先生の車でハイリゲンシュタットの奥にあるカーレンブルグに登った。ウィーンの町を一眸。さらにレオポルドベルグに移動。少し高度がさがるが,こちらの方がドナウ川やグリンツィングがよく見える。 そしてそのままグリンツィングのホイリゲに。F士先生も一緒に行ったK牧先生も行ったことがないというZum Martin Seppという店に入る。銘柄なんてほとんど知らないので,順番に頼む手法でグラスをいくつか。店の雰囲気も,ワインも,料理もとても良かった。感謝。 |
<24日(木)>
朝の予定は美術史美術館。3時間ほどかけて,行きたいところに集中できた。最初に来たときには無限にあったと思った絵が,絞ってみてみるとそれなりに把握できる。ブリューゲルの静物画など,意識していなかったものも目にとまった。フェルメールは「絵画芸術」。あまり人がいなくてじっくり見られる。カフェでランチをとってから,行くつもりもなかったコインの部屋に行ってみた。カフェの写真を撮りに階をあがったついで。それがなかなか面白かった。形もデザインも,そして大きさも実に多様。 午後からDoblingerという書店で1〜2時間。その後ホテルに帰って夕方まで。夜は,再びF士先生,K牧先生とともに,シェーンブルン宮殿の庭であるウィーンフィルの野外コンサートに出かけた。横から入るためにシェーンブルンでは降りずにヒーツィンクまで行って下車。折りたたみ椅子を持った通っぽいおじいさんについて人が行かない道を進んだら,一般聴衆のエリアの一番前のあたりに出た。そこでコンサートが始まるまで1時間半待つ。朝の新聞によれば,10万人の人手だという。 始まる前に,挨拶があった。主催者はもちろんだけど,なんと,クリントンとシャロン・ストーン。クリントンがウィーンに来ているのは聞いていたけど,こんなところに現れるとは。演奏会は,要所で音楽に合わせて花火があがったり,バレエがスクリーンに映されたりで,野外公園なりの趣向が凝らされていてとてもおもしろかった。もちろん,舞台の様子と実際の音には0.5秒ほどの時差があるのだけど。 曲目は,ゲルギエフだけにロシアもの。演奏会は約1時間ほどの短いものだったけど,アンコールは5曲。剣の舞の時には,終了後「もう一度やるか〜」「Je〜!」というようなやりとりで,2回目を。これがとてつもない速さだった。最後はやはりウィンナ・ワルツとポルカ。再度花火が打ち上げられて,終了。いやぁ,楽しかった。
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美術史美術館の天井 美術史美術館のカフェ シェーンブルンに集まった10万人 |
ビル・クリントンとシャロン・ストーン |
ウィーンフィル |
オットー・ヴァグナーのマジョリカハウス 路面電車「D」の終点 ここで輪になっていて折り返す ベートーベンの住居 ハイリゲンシュタットの遺書の写し |
<25日(金)>
人が住んでいて中は見られないという,オットー・ヴァグナー作の住宅を見に行く。この人のデザインしたものが,ウィーンにはあちこちに残されている。乗り換えの拠点になるカールスプラッツの駅舎もそう。もう一人有名なのはフンデルトヴァッサー。北の方に行くと,金色に輝くゴミ焼却場の煙突が目に飛び込んでくる。この焼却場の余熱で住宅のセントラルヒーティングをまわしているらしく,合理的でもある。余談としては,大阪市の焼却場もフンデルトヴァッサーのデザイン。排煙関係の技術的理由で,この煙突の長さを短くさせたと友人が自慢していた。 リヒテンシュタイン美術館に行ってみた。ここ,開館日・時間が複雑で,行く日が限られる。展示室は10部屋で,かなり余裕のある展示になっている。圧巻は,ルーベンス。ひげの男のモチーフってのがあって,それがいろんな絵に使われているんだそうだ。ルーブル美術館にも美術史美術館にもルーベンスの部屋があって,何となく輪郭のはっきりしない絵に,どうかなぁ…と思っていたのだけど,だいぶ見方が変わった。やはりすごい。その他には,細かい象眼細工やビーダーマイヤーの絵も見る価値あり。 泊まっていたのはウィーン南駅の側。そこがDという路面電車の起点。反対側の終点はNossdorfといって,U-Bahnのハイリゲンシュタット駅の奥。そこからベートーベンの散歩道というのがある。とりあえず歩いてみた。小河に沿って続く普通の道だ。しばらく歩くとエロイカガッセに交差する。ここでエロイカガッセを下っていくと,ベートーベンが住んでいた家がある。ベートーベンは何度も引っ越しをしているので,そういう家がたくさんある。すぐ側に,ハイリゲンシュタットの遺書を書いた家もあって,そこは博物館になっている。遺書の写しと若干の遺品,音楽を聴けるシステムだけの小規模な展示だった。 そこからしばらく歩いて(まわる順番をまちがえたようで,ずっと上り坂だった。暑かったし…約30度…修行になりました。),グリンツィングの墓地に到着。どうやって探したらいいねんといいつつ,地図と有名人のお墓の場所一覧表を見つけてマーラーのお墓に参拝した。 夜はコンツェルトハウスでウィーンシンフォニカーの演奏会。
それはもう,すごい演奏だった。春の祭典は座席の背に押しつけられるような迫力で,身じろぎできず。終了後,デュダメル自身が何度もガッツポーズをするし,団員も立たずに称賛を送っている(良い演奏だと,指揮者が立つ合図をしても,コンサートマスターの判断で,団員は立たないで楽器をたたいたり足踏みしたりして称賛する)。デュダメルはまだ20台らしいのだけど,細かくわかりやすい指示を出していた。プーランクも2楽章の不思議な雰囲気を存分に楽しめたし,余韻が長く残る演奏会だった。 |
ベルベデーレの入り口を守るライオン ハプスブルグ家の紋章は鷲なのに… と思っていたら,オイゲン公はハプスブルグ家ではなかった シェーンブルンにあった日時計? 解読しようとしたけどわからず 四季の天体の動きを表すのか? 宴の後 たくさんの重機が入ってまだ片付けていた |
<26日(土)>
南駅の側にはベルベデーレ宮殿がある。プリンツ・オイゲンが築いた壮大な建物と庭。プリンツ・オイゲンって誰や…ハプスブルグ家の中にはおらんぞ…というわけで調べてみると,1600年代の末,レオポルド1世に仕えたフランス育ちの将軍。オスマントルコに包囲されたウィーンを救った英雄だそうだ。その後,フランスとも何度も戦った。この宮殿に,オーストリアギャラリーという美術館がある。 この美術館の目玉はクリムトとエゴン・シーレ。クリムトの「接吻」は見た覚えがない人はいないだろう。その他にも,ゴッホ,モネなど見るべきものが結構ある。ビーダーマイヤーの絵にもわかりやすくていいものがたくさんあった。 アルペンガルテンには珍しい植物が植えられている。美術館とは別料金。中でエーデルワイスを確認。これまでに実物を見たことがあったんだかなかったんだか。これまでに結構咲いていそうな場所には行っているのに。ただ,あっても気付かないような謙虚な花だった。 一度宿に帰って,荷物を西駅のコインロッカーに入れて,再度シェーンブルン宮殿に行った。夜には見えなかった花の咲いている庭を見るため。そう,ベルベデーレの庭は前面工事中で,噴水はないは花は全部抜かれているわで,さんざんだったのでした。 シェーンブルンでは,一昨日夜の後片付けがまだ続いていた。大がかりなイベントだったのだと実感。 同時にシェーンブルンの大きさも実感。疲れて早めに西駅に戻って,空港バスに乗った。最後に飛行機の窓からシェーンブルンが見えた。上から見ても,大きさを実感した。 [ウィーン雑感] ウィーンの電車に乗っていると,駅の案内と共に乗り換え案内も流れる。「38番,38番A」とか。当然,AがあればBもあるはずなのに,Bがつくのは見たことない。かねてより不思議だったのが,今回納得。Aは,Autobusの意味なのだそうだ。数字は,走っている地域を表していて,路面電車にはAがつかない。バスにはAがつく。したがって,38の地域(ハイリゲンシュタット駅とグリンツィングの間)は,路面電車とバスが走っているということになるわけ。 |