夕方からフランクフルトに出て用事を済ませ,来独したN尾さんたちにニュルンベルグまで同行。駅で分かれて帰宅した。この列車のビストロカー(食堂車)で食事をしようと思っていたけど,ついていなかった。スナック(カレーブルスト)とビールで歓迎の小宴…たったまま。
3月5日(火)
N尾さんたちのホテルはなかなか良い朝ご飯だったようだ。ドイツの食べ物をおいしいと言ってもらえると,とても嬉しい(なんででしょうね?)。今日はニュルンベルグの街の案内。カイザーブルグ,ニュルンベルグ市立博物館,デューラーの家,教会の時計,ビール醸造所の地下通路,国立ゲルマン博物館などをまわった。何度目かのところもあって,その度に知らなかったことがわかる。そういう意味では面白いけど,充分理解していて案内できているわけではないのがちょっと残念。昼食は,おなじみ,ニュルンベルガーの炭火焼き。評判は上々。夜もよかった。 |
カイザーブルグ城から 定番のアングルで街を臨む |
ニュルンベルグのジオラマ 木製で手作り。それはそれとして… 説明されている建物にだけ照明が当たっていくしくみが すごい |
醸造所の地下ツアー ニュルンベルグの地下には広大な地下がある 醸造所はそこをまさにビールを寝かせる場所として使った 氷を詰め込んで氷の塔を造る氷室もある 戦時中はここが防空壕になった |
古い町並みが残るヴァイスゲルバー通りで |
ヘンカー橋から下の橋を見る ニュルンベルグで最も綺麗な景色の一つ |
今日は,ちょっと重たい予定。まずはドイツゲルマン博物館。現存する最古の地球儀,もう一度よくよく見てみた。日本が大きくてジャガイモのような形のくせに北海道らしきくびれはある,ということは前回も築いていたのだけど,大きさがアメリカとほぼ同じ。アメリカは南北に分かれていない。こういうのを見ると,地図を描くことがいかに大事業だったかということがひしひしとわかる。でも,そういう時代の方が,夢があったのかもしれない。
ドキュメントセンター 党大会をやったスタジアムを囲む建物 |
午後は,はじめて行くドイツの重たい過去を詰め込んだドキュメントセンター(ドキュツェントラム)。ナチの台頭から大戦,裁判までの流れをさまざまなパネル(写真と解説)で見せてくれる。場所は,中央駅からトラムで15分ほどの場所で,かつて党大会を開催した場所にある。大きなコロッセウムのような所で,建物そのものはその時のものを使っている。一杯パネルを見て勉強した後に,その建物がどーんと目に入るようになっていて,視覚的に迫ってくる。気力がもたず,最後の方はかなり飛ばしながらまわったのだけど,大きな流れはもちろんわかるし,考えることは無数にあった。 |
朝からエアランゲンにやってきたN尾さんたちと,バンベルグに向かう。ついたらいきなりお昼の時間。すこしショップに寄った後,有名なラオホビアのシュレンケルラで昼食。燻製した麦芽で造るビールで,色はギネスのような黒い色。燻製の香りと深い味は,ギネスにはない。
バンベルグは,世界遺産ではあるけれど,静かな良い街だ。教会,レジデンツの中庭など,いくつかまわって,中世から続く景色を堪能した。夜はエアランゲンのカレーのお店。
バンベルグの道ばたに出る花屋 色とりどりの花が並んでいる 春はもうすぐ |
旧市役所 前を塞いでいた不思議な色の変わる像が撤去されている 一時的な催しだったのかも知れない |
旧宮殿の中をのぞくと 彫刻の修復工房になっていた |
ミカエル教会 醸造博物館に行くつもりだったけど冬期は休業 暖かくて澄んだ空気の中でお茶 |
「福島はどこにでも」 駅前で見つけた…エアランゲンでも集会がある もうすぐあの日…世界中に想いをはせる人たちがいる 日本はどんな国であるべきか |
かみさんを含めて5人でミュンヘンに移動。新市役所の正午の鐘とからくり人形に会わせて,正面のカフェでお茶。お昼は市役所の食堂にしたのだけど,N尾さんたちのお目当て,白ソーセージはなし。午後は,年中やってるマルクト広場の後,帰宿。夜の音楽会に合わせて再出動。先に食事をすることにして,アウグスティナー・ケラーに行った。ここで白ソーセージをゲット。これ,本当は午前中に食べるべき「なまもの」なのです。
ガスタイク(Gasteig)は何度来てもいいホールだと思う。ここで聴くミュンヘンフィルは,いつも最高。チェロとビオラがユニゾンで弾くパッセージにはぞくぞくした。なんとも形容できないすばらしい音が鳴る。ミュンヘンフィル,もうすぐ日本に行くらしい。
市役所の中庭から上を見上げると,こんな像がいたるところについている みんな口をあけているのだけど,これはもしかしたら樋の排水口なのかもしれない それにしても細かい細工で,第一怖い |
やはりはじめて行く,ダッハウ。ニュルンベルグで勉強したことを元に,現場を見に行くツアーだった。Sバーンに20分ほど乗って,降りたところにいるバスに乗る。バスは10分ぐらい。いとも簡単に着いてしまう。中には,本部を博物館にした建物と,政治犯の収容施設,それに強制収容のための建物の跡が並ぶ。2棟だけ復元・保存してあって,中で当時のベッドやロッカー,食事をした場所などを見ることができる。博物館では,ニュルンベルグで学んだことを,実物展示付きで復習した。収容者の写真なども,こちらの方がやはり生々しい。そして,一番奥に,いわゆるガス室と焼却場がある。
ガス室は,やはり感じるものが特別。その部屋のとなりの部屋に,「待合室」と書いてある。そして,ガス室の天井には。シャワー口が規則正しく縦横に並んでいる。ここからガスが送り込まれるのだと思っていたのだけど,チクロンBを放り込む口は建物の側面にあって,外から投げ込んだらしい。部屋に入るまで騙したやり口にはぞっとする。
いつかは行かねばと思っていた所に,行けたのはとてもよかった。そして,何組ものスクールツアーが来ているのを見て感心したり(なぜか)ホッとしたり。修学旅行とかではなく,学習に来ているのは明白。
強制収容所の入り口 |
収容所に着く列車のプラットフォーム どんな気持でここに降り立ったのだろう |
復元・保存されている収容棟 |
焼却場とシャワー室(ほんとはガス室) この2つの施設が同じ棟だというのが実になんとも… |
ガス室の入り口 上に「シャワー浴室」と書いてある |
有名な「Arbeit Macht Frei」 働けば自由になれる 収容所と外界を隔てる門にある |
エアランゲンに帰る予定を変更して,フランクフルトまで同行した。ついていって良かったのは,宿の予約がクレジットカードの認証関連のやりとりミスで反故になっていたこと。部屋の空きがあったので,予約を復活させてセトルイン完了。
この街はもう庭のようなものだと思っていたのだけど,意外に行ったことのないところがある。一番がゲーテハウス。作家の家っていっても机やペンがあるだけだという固定観念が,これまでの経験でできていた。今回,N井さんのご希望で,はじめて行った。これがなかなか面白い。疎開していた家具はそのまま,家そのものは再現らしいのだけど,18世紀の裕福なフランクフルト市の生活がよくわかる。家の作り,壁の模様,時計や調度品,階段の手すりの模倣など,どれも見応えがあるし,そこからいろいろな想像が膨らむ。時計がまだうごいていて,2013年の年号が表示されているのには驚いた(もちろん修理が入っているんだろうなぁ…)。
夜はアップルワインの店に。アップルワインは曲者で,3杯ぐらい飲まないとリンゴの香りがしてこない。それを越えるとおいしくなる。でも,そんなにたくさん飲めない人が多い。そんなわけで,アップルワインの評判は今ひとつ。でも,この店のリプヒェンはとてもおいしい。骨付きゆで豚なわけだけど,とても柔らかくてジューシー。あまり辛くない(ホントよ)辛子をたっぷりつけて食べるととてもおいしい。さらにフランクフルター・グリューネソース(フランクフルトの緑のソース)という食べ物がある。これ何かにかけるソースではなく,ソースそのものを食べるもの。卵やじゃがいも,リプヒェンなどと一緒に食べるのもよし。食べ物の方の評判は上々だった。
朝は,フランクフルトを見渡せるマインタワー最上階(56F)からはじまった。ゲーテ広場のロスマルクトの端にある,本を抱えた3人の群像が誰か,というのが話題になった。本→聖書→グーテンベルグ,という連想はできたけど,同時に本→詩集→シラー・ゲーテ,という連想も成り立つ。どちらも人数が3人じゃないし…。後で調べてわかったのは,これは1850年代に造られたグーテンベルグ記念碑ということ。なので,グーテンベルグとあとの二人は,グーテンベルグに資金を提供したヨハン・フュスト,フュストの後を継いだペーテル・シェファー。でもどれが誰かは不明。群像の足下の4角にも像があるのだけど,それは神学,詩,自然科学,産業をそれぞれ表すのだということだ。日本の旅行者のブログには,ゲーテ像だと書いてあるものが多いので要注意(笑)。
お昼は,レーマー広場で愛用していたソーセージ屋の屋内店。カウンターに並んで,いろんなヴルストを頼んで,それぞれにビールも飲んだ。カウンターのお兄ちゃんの愛想がよくて評判上々。楽しかった。
ゲーテが生まれて育った家 立派なファサードのある裕福な家だった フランクフルト滞在日数述べ300日ぐらいかと思うけど 初めてきた |
ソーセージ屋さん いつもだと屋外で食べるのだけど 雨模様かつ寒さのため店内のカウンターで |
銘石に薔薇が手向けられていた |
フランクフルトを少しディープに案内するときにはいつも行っていたベルネ広場とユダヤ人墓地(かつてのゲットーの跡地)。墓地を囲む塀には,没年が不明だったり1942〜3年ごろだったりする無数の銘石が埋めこんである。ニュルンベルグからのつながりで,また考えることの多い訪問になった。
このような歴史を抱えたドイツが,EUの中心となって大きなプレゼンスを示しているのはすごいことだと思う。このように事実を記録し,忘却されないように公開する。戦犯は戦犯として,裁判の結果や絞首刑の写真も展示する。これなしには,ドイツのプレゼンスはあり得ないのだろうと思った。もちろん,日本の現状と比較する気持も持たざるを得ない。日本に戦後は来るのだろうか…。 |
最後の重たい寄り道を経て,カフェでお茶。そして少し買い物をして,ホテルで荷物を受け出して空港に向かう。想像以上に楽しくて勉強になった1週間をふり返りつつ,3人を見送った。